MIMASAKA
MAGAZINE ふるさと図鑑
下山さんちのお茶 (株)クオリティープランテーションズ
下山さんちのお茶 |(株)クオリティープランテーションズ
美作市海田のお茶を、守り伝えたい
岡山県を代表する茶の産地、美作市海田(かいた)の茶農家三代目・下山桂次郎さんがつくる「下山さんちのほうじ番茶」は、飲めばほっこり気持ちを和らげてくれる逸品。緑まぶしい新茶の季節、下山さんの茶畑を訪ねた。
【お茶の歴史】
元々、お茶は中国から伝わったもの。岡山で生まれた栄西禅師が宋から帰国する際に持ち帰った種をまき、それをきっかけにお茶の本格的な栽培が始まったとされる。栄西禅師は1211年に『喫茶養生記』を著し、「茶は養生の仙薬なり…」とお茶の効用や製法などを日本に広く広めた。ただし室町時代以降、茶の湯文化として広まったお茶は抹茶のことで、庶民の口に入るものではなかった。現在多く飲まれている緑茶(煎茶)は、江戸時代に永谷宗円が発明したもの。宗円が生み出した製法は「宇治製法」と呼ばれ、18世紀後半以降、全国の茶園に広がり日本茶の主流となっていった。
vol.1ゆったりと時間が流れる美しい茶畑
新茶の季節、茶畑へ
5月、新茶の摘み取りをしているという山頂の茶畑に向かった。見える景色が瞬時に変わる。青空の下に整然と並ぶかまぼこ状の茶畝。鳥のさえずりが響き渡り、一面に広がる緑がキラキラと光を放っている。日常とはまったく違った時間の流れが感じられる。
茶畑は茶摘みの真っ最中。茶摘みの方法は時代の変化とともに変わっているという。手で摘み取っていた時代から大きな剪定バサミを用いるようになり、茶畝を挟んで2人で機械を持ちながら摘み取っていくバリカン型茶摘み機へ。平面にあるこの茶畑ではレールの上を無人で自走しながら摘み取る茶摘み機が導入されていた。
「お茶は5月頃の八十八夜の新茶(一番茶)から始まり、その後伸びる茶葉を摘んだのが二番茶。だいたい40日サイクルで摘み取ります。夏は木を休ませ伸ばし放題にして、秋にもう1回摘み取るんです。それが番茶になります」
茶の木から伸びている新芽は淡い緑色。手で触ると薄くてとても柔らかい。新茶の季節は1ヶ月で約2万キロを摘み取り、加工するという。うま味が多く含まれている先端の1芯2葉の部分を選別したものが「煎茶」となり、それより大きな葉は「青柳」に、茎の部分は「かりがね」になる。秋に摘んだ葉を番茶に製造し、火入れをして焙じたのが「ほうじ番茶」だ。ほかにも、茶園に日よけをして栽培した「かぶせちゃ」、加工の蒸し工程で強く蒸した煎茶「深蒸し茶」など、下山さんは生葉の栽培方法や品種、加工の仕方で10種類の茶葉を取り扱っている。
茶の生命力を引き出す栽培法
岡山県北東部にある美作市海田地区は、茶処として歴史深い地。江戸時代、1730(享保15)年に茶の栽培が始まり、1862(文久2)年から煎茶の製造に着手。これが岡山県の煎茶製造の発端といわれている。下山さんの茶畑は約4ha(ヘクタール)。祖父の代から60年続く畑もあれば、最近開墾した畑、山頂に位置するもの、急傾斜地、緩傾斜地など各所に分散している。
「ここは3年前に植えたんです。まだ形がかまぼこ型じゃないでしょ。1本ずつこうやって千鳥に植えていくんですよ。5年くらい経つと枝が絡み合って茶畝ができます。品種はヤブキタ。お米でいったらコシヒカリのようなスタンダードなものですね。ここで20a(アール)、1000本くらいかな。家族みんなで1本ずつ植えたんです」
お茶栽培に大切なのは水はけと日照時間。茶畝のかまぼこ型カーブは、日当たりを均等にして新芽の長さがそろうように。茶畑がまっすぐに整列しているのは、茶摘み機が通りやすいという作業性から。茶畑には計算され尽くした機能美が備わっていた。
「茶の木はツバキ科ツバキ属の常緑樹で10月から12月にかけて白い花が咲き、翌年秋に実を結ぶんですが、育つまではなるべく花を咲かせないようにするんです。簡単にいうと子孫を残そうとする活動なのか、自分が育とうとする活動なのか。お茶の場合は葉っぱを採るので自分を大きくするような栽培をしてあげるんですね。桃など果実とは全然アプローチが違います」
茶本来の生命力を引き出す栽培法に取り組んでいる下山さん。茶の木が元気に保つための更新剪定や環境に優しい土づくりなど、「人間がやりすぎないように、できるだけ自然に任せて」丁寧に育てている。
(2018年5月取材)
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第7回認定
2017-02-19