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MAGAZINE ふるさと図鑑

浦上桐工芸 株式会社

府中桐箱|浦上桐工芸 株式会社

大切なものを包み未来へ、
伝統が息づく優美な府中桐箱

木目や表面の光沢が美しく上品な桐箱。調湿性や防火性に優れ、虫もつきにくいことから、大切なものを保存するのに使われてきた。桐箱づくりは、広島県府中市が全国に誇る伝統産業の一つだ。1868(明治元)年創業の「浦上桐工芸」は、熟練した職人技とものづくりの心を受け継ぎながら、「四角い桐箱なら何でも」とお客様に合わせたオーダーメイドの桐箱づくりを続けている。

桐下駄の端材から始まった桐箱づくり

山陰の石見銀山から山陽へ通じる街道の宿場町として栄えた府中市。三方を山に囲まれ、中央に川が流れている地の利と、かつては岡山県から広島県東部までが「備後桐」という国内有数の桐(キリ)の産地であったことから、桐箪笥や桐工芸など桐の一大加工産地となる。浦上桐工芸は1868(明治元)年に創業。現在10事業者が加盟する府中桐箱協同組合の中で最も古い歴史を持つ老舗である。

府中市街地からしばらく山間を車で走り、たどり着いた浦上桐工芸。訪れた春先には桜が咲き誇り、耳を澄ますとウグイスの鳴き声が聞こえる。

敷地内に積み重ねられていた乾燥中の桐材。

桐箱づくりの発端は、江戸末期に桐下駄の端材を利用してつくった婦人用の船枕だった。7代目になる会長・浦上利平さんは、「下駄というのは、丸い木の真ん中を4つに割って下駄の形にしていくんですけど、周りの木がずいぶん余って燃やしていたらしいのです。それはもったいないというので、うちの先祖がその板を削ってはぎ合わせ、船枕を作ったのが始まりだと聞いています」と話す。

下駄の端材を再利用して作った船枕。髷(まげ)を結っていたころ、髷がくずれないように首筋にあてて使用した箱型の木枕。下部が船底のように曲がっているため「船枕」と呼ばれた。中は空洞になっており、手に持つと驚くほど軽い。

7代目の浦上利平さん。大学卒業後、大阪で営業担当として会社勤めをし、29歳のとき帰郷して入社。板の切断から接合、仕上げなど製作の現場を経験し、44歳で会社を継いだ。

150年の歴史、時代に応じたものづくり

高温多湿で四季による気温差が激しい日本では、桐箱が大切なものを守り、次世代へ伝える役目を担ってきた。桐はほかの木材よりも柔らかくて加工しやすく、軽くて持ち運びが便利。桐自らが呼吸するかのように、大気中の水分を取り込んだり放出したりする特性があるため、内部の湿度を一定に保つことができる。また、タンニンという成分が多くてカビに強く、防虫性能もあり、火に強い。「大切なものは桐箱に入れて保存する」という日本古来の文化があり、美術館や神社仏閣などで収蔵している美術品をはじめ、何百年前の茶道具や骨董品、呉服などが桐箱に納められ、現代まで保存されてきた歴史がある。

創業から150年余り、浦上桐工芸が手掛けた桐箱は、実に千種類を超える。商品はすべてオーダーメイドだ。「求められたものを作ってきただけ」と言う利平さん。明治から昭和初期には勲章や着物、昭和に入ってからは結納の品や銀行券、戦後は置き薬、百貨店の商品券、貴金属などを納める箱など、時代に応じて全国から注文を受けてきた。
上蓋に折り鶴が描かれた桐箱を取り出し、「これは私が子どものころ、終戦直後に作っていた裁縫箱です。一つひとつ焼きペンで輪郭を描いて、色付けしてあります。当時は絵付師が家に10人くらい住み込みで働いていました」と振り返る。平成以後は安価な外国産が出回り生産量が減ってきているが、技術力と品質の良さで立ち向かっている。

熟練された職人技で、細部にこだわった仕上がり

桐箱づくりの工場に入ると、大きな機械音とともに所狭しと積み重ねられられた桐箱が並び、桐の木独特の香りが漂っている。板の表面を削る作業や裁断、組み立てなど、職人がそれぞれの持ち場で手早く作業を行っている。昔に比べると工程の多くは機械化されたが、「大事なところはやっぱり人の手で。一つひとつ上手くいっているか、人の目で確認しながら行っているものですから」と利平さん。現在、職人の数は10人。いずれも熟練を要する作業で、一人前になるには10年かかるという。

板を接着しゴムで仮留めを行う唐川安延さん

「箱組み」は裁断した板に接着剤をつけて立体的に組み立てる工程。接着剤を乾燥させるために輪ゴムで仮留めして固定させるところが難しく、バランスが悪いと形が崩れてしまう。21年になる唐川安延さんは、「ずれることがないようにして、いかに効率よくできるかが大切。慣れるまでには5年かかるかな」と話す。

日本製の桐箱の特長でもあるカンナ仕上げを行うのは、この道50年の前原末美さん。神は細部に宿る。

カンナを使って「面取り」をしているのは、桐箱づくり50年という前原末美(すえみ)さん。シュッシュッと軽やかな手つきで仕上げていく。「これは人の手でやらないといけないところ。力の入れ加減が大事で、長年やっとるから体が覚えとるんです」。職人による緻密な手作業は、創業時から変わらない光景だ。

8代目の壮平さんは桐箱づくりを始めて22年。「桐は軽い上に腐食しにくく、湿気や虫にも強い。物を保存することに関しては理にかなった箱だと思います」

蓋つきの桐箱は、蓋の形式によって蓋の四方が箱の外にかぶさる「かぶせ式」と、蓋と箱の本体がぴっちり合わさって一体となる「ヤロー式(印籠式)」などがある。8代目、社長の壮平さんが「『ヤロー』というのは蓋の立ち上がり部分のことで、これがあることで蓋が本体の部分に固定される構造となります」と説明してくれた。

ヤロー式はまず箱を組み立て、箱の形にしてから蓋を切り取る作業が行われる。この作業がとても大事で、密閉性を高めるためには蓋をしっかりと作らなければならない。ミリ単位の仕事だ。蓋の閉まり具合や外観の検査を一つひとつ丁寧に行い、桐箱が完成する。

大切なものを包み、未来へつなぐ府中桐箱

JR西日本が2017年6月から運転を開始した、「美しい日本をホテルが走る。」をコンセプトに西日本を巡る「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」では、浦上桐工芸の桐箱が「小物入れ」として提供されている。「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」には備前焼や萩焼など日本を代表する伝統工芸品が取り扱われており、広島県からは府中桐箱が選ばれた。「最初はびっくりしましたよ。今までの伝統と技術が認められたことを誇りに思います」。利平さんが注文を受け、現在の形になるまでには試作品をいくつも作ったという。蓋にあるシンボルマークは、ゴールドの箔を熱転写した箔押し加工。気品のある優雅な雰囲気が漂う。

収納箱として “縁の下の力持ち” 的な存在だが、それ自体も美しい桐箱。すべるような手触りが心地よく、いつまでも撫でていたくなるような、なめらかさと温かさが感じられる。注文は企業だけではなく、個人からも受け付けているそうだ。中に納めるのは一生懸命集めたコレクションや、心を込めてつくった茶碗などの陶芸品、思い出の写真や手紙、へその緒など。それぞれの人がそのものを大切に思い、未来へ残しておきたいという願いに応えて桐箱づくりを行ってきた。

浦上桐工芸ではホームページのリニューアルを機に、桐箱文化や桐箱づくりの情報を発信している。8代目・壮平さんはこう語る。「日本に古くから伝わる桐箱のことをもっと知ってもらいたい。桐箱に納めることでそのものの魅力を高めることもできます。未来に残していきたいものを守る桐箱を、丁寧に作っていきたいですね」。

(2020年4月取材)

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