TAKAHASHI
MAGAZINE ふるさと図鑑
三宅製菓本店
備中神楽面最中|三宅製菓本店
変えるものと、変えないものの
大切さを刻む「備中神楽面最中」
備中神楽の発祥の地・岡山県高梁市成羽町で1905(明治38)年、創業した『三宅製菓本店』。この店が約70年前に考案したのが、備中神楽のお面をモチーフにした最中(もなか)だ。スサノヲノミコトら神楽の演目に登場する4人の神様の顔がかたどられた最中は全国的にも珍しく、手のひらほどに大きい。中には大粒の北海道産大納言小豆のあんがぎっしりと詰め込まれている。
備中神楽の発祥の地、成羽
成羽川に並行する国道313号線を高梁市川上町方面に進むと、「備中神楽の発祥の地」の碑が迎えてくれる。高梁市成羽町は、江戸時代、この地区の神官をしていた国学者・西林国橋(にしばやし・こっきょう)が「神代神楽(じんだいかぐら)」という演目を考案したことから、「備中神楽の発祥の地」とされている。素盞嗚尊(スサノヲノミコト)が、八岐の大蛇(ヤマタノオロチ)を退治し、奇稲田姫(クシナダヒメ)を救う「大蛇退治」などの題材を、演劇的要素を加えて表現した神代神楽により、神事であった備中神楽が、広く民衆に親しまれるようになったと言われる。現在も五穀豊穣を祈願する秋の例大祭に奉納され、7月末の成羽愛宕大花火の上演では、明け方まで多くの人を釘付けにする。この備中神楽は1956(昭和31)年、岡山県重要無形民俗文化財に、1979(昭和54)年には、国の重要無形民俗文化財に指定された。
『三宅製菓本店』は、岡山県高梁市成羽町下原で1905(明治38)年、創業した。初代の三宅金太郎氏が日露戦争に出征し、ふるさとの成羽町に戻った時、「甘いもので皆を笑顔にしたい」との思いから、何とか手に入れた砂糖で饅頭の製造・販売を始めた。それからしばしの時を経て、「備中神楽面最中」が誕生した。2代目・三宅友一氏と3代目・三宅英雄氏が、備中神楽の町・成羽を盛り上げようと今から約70年前に考案。最中の皮は、備中神楽に登場する4人の神様の顔がかたどられ、大きさは大人の手のひらほど。思いきって大きな口で頬張ると、大粒の北海道産大納言小豆のたっぷりの粒あんと、サクッとした最中の皮の感触が抜群に良く、混じりけのないあんこのおいしさを味わい尽くした気分になる。
変えるものと、変えないもの
現在は5代目の三宅祥晴(よしはる)さんが代表取締役で、4代目の父・亮三さんも現役。祥晴さんは、こう語る。「備中神楽面最中の材料は、白双糖(しろざらとう)と北海道産の大納言小豆、水飴、もち米、寒天だけです。これだけシンプルな材料なので、ほかとの差別化をどう図るかを考えると、素材の良さと無添加、というところになります。時代に合わせて変化することは必要ですが、これに関しては変えちゃダメだと。先代たちが守ってきてくれたものを、守り続けることが大事だと思うんです」。
最近のお菓子で原材料名にカタカナの表記がないのは珍しい。原材料が5つだけで終わるのも珍しい。しかしこのようにして、製法、配合を一切変えず、手作りと完全無添加にこだわって備中神楽面最中は作られている。皮は、岡山県産のヒメノモチというもち米だけで作られ、専門の業者が70年前から製造。「面の型は、今では出来ないデザインだと思います。全国的に見ても、顔をかたどった最中はほとんどなくて、しかも大きいんですよね」と、祥晴さん。
原材料のなかで、岡山県産でないのは大納言小豆のみ。小豆に最高の品質を求めたからだ。北海道に「備中神楽面最中」専用の大納言小豆を作ってくれる農家と契約している。大納言小豆は天候に左右されやすく、作物としてリスクが高い。2018年、北海道に大きな被害をもたらした平成30年台風21号以降、多くの農家が大納言小豆から、普通の小豆の生産に移行したが、この農家は生産を続けてくれていると言う。
つやつやとした大粒の大納言小豆を毎朝5時から炊き始め、水飴と寒天を加えて練り上げ、あんこが落ち着いた状態になる翌日、最中の皮に挟む。製造は多い日で一日に2000〜2500個に及び、岡山・倉敷市内のデパートやスーパーに早い時刻に出荷する。そのため時間を逆算して、朝5時には社員全員が揃って作業場で仕事を開始する。あずきを炊き上げる香りや、金平饅頭の生地が焼き上がるおいしそうな匂いが立ち込める中で、貝の形をした最中にこしあんを丁寧に詰める作業や、袋詰めをして、贈答用の箱にきれいに並べたら、その箱を専用の包装紙で包んで、紐でキュッと縛る風景がある。
「甘いもので皆さんを笑顔に」
『三宅製菓本店』の変わらないものは、「備中神楽面最中」と、初代の三宅金太郎氏が創業当時に作った「金平饅頭」の2つだ。小ぶりのコロンとした饅頭は白あんをカステラ風の生地で包んだ焼き饅頭で、「名物 金平」の文字が焼印で入っている。ふかふかとした生地に、白あんの上品な甘みが絶妙だ。
「金平」とは、金太郎氏のニックネームだ。以前は炭火と電気を使って手で一つひとつ焼いていたが、現在は機械も活用しながら、大切なポイントで人の手が入る。「金平饅頭」は多い日で一日に3000〜3500個を製造。「祖父の時代は2交代制で夜も稼働していたんです。当時は近隣40校の学校給食のパンもやっていたし、ケーキなど、いろいろなものを作っていました」。この2品は東京都内のアンテナショップ『とっとり・おかやま新橋館』で常時、扱いがあり、首都圏や京阪神のデパートなどでフェアがあれば声が掛かる。販路を拡大し始めたのは、デパートに勤務経験のある4代目・亮三さんの時代だ。
現在は、桜餅や柏餅、水ようかんなど季節の和菓子をはじめ、約20種の菓子を製造する。成羽町日名畑には岡山県して天然記念物の化石層があり、貝の化石を産することから、貝の最中もある。こちらの中身は、こしあんで、あんこの材料、製造方法は商品によって様々だ。ほかにも最近では、雲海に浮かぶ姿で国内外から多くの人が訪れる備中松山城の猫の城主「さんじゅーろー」をモチーフにした新たなお菓子、「猫城主さんじゅーろー献上まんじゅー」を開発。「献上まんじゅう」は、猫の小さな足型を表面に刻んだミルク饅頭で、2019年12月に発売を開始し、話題を集めそうだ。変わるものと変わらないもの、両方が存在し、初代の「甘いもので皆さんを笑顔に」という哲学が今も生き生きと息づいている。
(2020年2月取材)
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