FUKUYAMA
MAGAZINE ふるさと図鑑
もりせん
炭焼の焼き豚|もりせん
世代を超えて愛される味
炭火の薫り香ばしい焼き豚
福山市の「もりせん」がつくる炭焼の焼き豚は、ひたすら味にこだわり続けた逸品だ。厳選された上質な国産の豚肉を使用。吟味を重ねて作り上げたタレに漬け込み、木炭の直火でじっくり時間をかけて焼き上げる。一度食べたら忘れられない味わい。情報誌のお取り寄せ特集にも取り上げられ、地元はもちろん、全国にファンを持つ。
炭で焼いた豚肉の美味しさに魅せられて
「もりせん」は1974(昭和49)年、社長の森 宣二さんが23歳のときに創業。吟味を重ねて作った秘伝のタレも、炭火で時間をかけて焼き上げる方法も当初から一切変わっていない。その原点は、宣二さんが旅先の静岡で出会った炭焼の焼き豚にあった。「煮豚は知っていたんだけど、炭で焼いたものは食感が全然違った。とにかく美味しかった」。3年間その店に住み込みで働き、職人の仕事ぶりを間近に見て技を習得した。
当時は家庭用燃料が薪や炭からガスへ切り替わっていたとき。「世の中が便利な方向へ移っている時代で、炭を焼く人も減り、炭自体が消えかかっていた」という。創業時は燃料を求め、遠方までトラックで出向いたことも。店を始めてからもガスに切り替えないかという誘いがあった。しかし、宣二さんは揺らぐことなく炭火を貫いた。「ガスや電気は便利だけど、使い始めたのはここ数十年。人間は火と出会ってからずっと、何百世代も前から木炭を利用している。炭で肉を焼くというのは、人間の遺伝子の中に刷り込まれているはずだと思ったんです」。
職人の経験と技で、タイミングを見極める
焼き豚がつくられている調理場に入ると、炭の熱と肉の香ばしい匂いが漂ってきた。脂の染みた円筒型の釜の色から、店の歴史が感じられる。調理場に立つのは10年前から焼きを任された2代目の乾太郎さん。秘伝のタレにたっぷり漬け込んだ豚肉を手に取り、1本ずつ釜に吊るす。1つの釜に17本ずつ。釜をのぞいてみると、下で炭が真っ赤に燃えている。炭の具合はその日の温度や湿度によって変わるのだとか。静かに観察しながら、炭を継ぎ足したり、減らしたりして火力を調整する。
吊るした豚肉はときどき返しながら均一に焼き上げていく。焼き時間は2時間以上。その間に脂分が程よく落ち、表面は炭火で焼き固められて、必要なジューシーさがうま味とともに閉じ込められる。焼き加減を見極め、絶妙なタイミングで豚肉を釜から引き上げていくのは、職人の経験と勘だ。忙しいシーズンは早朝4時から焼くこともあるといい、一日に約600本焼き上げる。余分な脂が落ち、うま味が凝縮された焼き豚はヘルシーでしっとりと柔らかい。炭火独特の香りが食欲をそそる。
端材をどう活用するか、そのプロセスが店の歴史
ほとんどの工程を手作業で行っているもりせん。肉の塊からスジや余分な脂を取り除き、かたちを切りそろえる作業。「そのとき、肉の何分の一かが端材になってしまうんです」。これをどう利益につなげるか。店の歴史はその課題にひたすら取り組んできたプロセスだったと語る宣二さん。端材をミンチにし、玉ねぎと人参を混ぜてコロッケの具材にして販売。大きな寸胴鍋で手作りするコロッケは看板メニューになった。
「創業時は家内と2人だったからね、メニューは焼き豚とコロッケ、トンカツくらい。コロッケが評判になって、午前中に400個くらい出ていくんです」。揚げていると、すぐに注文が入る。出来上がりを並べている時間もなかった。その時の経験が現在の、「注文が入ってから店で揚げて手渡すスタイル」につながっている。揚げたては食感も味わいも格別。手作りの温もりが感じられる総菜は、地元住民から愛されている。「関東や関西の百貨店イベントで出店している際に、地元出身の方がいらっしゃると、『あ、もりせんじゃ。懐かしい』と声をかけてくださる。焼き豚を売りに来ているのに、昔食べていたチーズはさみを思い出して取り寄せてくださったお客さまもいらっしゃいました」。
その後も、ソーセージやハンバーグ、ベーコンなどメニューは次々に増えていった。中でも人気商品となったのが「肉みそ」だ。広島県府中のもろみみそと良質な豚ひき肉を、時間をかけて火入れしたもの。炊きたてのご飯にのせたり、キュウリやレタスに巻いたり、ふろふき大根につけても美味しい。
手間を惜しまず、美味しさを届ける
誠実に「うまい!」と思うものをつくりたい―。もりせんのこだわりは徹底している。見栄えをよくするための着色料や保存料は使わない。冷凍肉も使用しない。作り置きはせず、出来たてを届けることに徹する。「やっぱり新しければ新しいだけ香り高いんです。出来たてのものは炭の香りが違うと思います」と話すのは、乾太郎さんのパートナーで店に立つ圭子さん。
こだわりはギフト用の梱包にも表れていた。竹の皮を用いて1個ずつ包装され、手書きの短冊が添えられている。書き手は宣二さんの父親だという。「僕が店を始めたころ、親父が一念発起して50の手習いで習字を始めた。毎日般若心経を書いて練習してね」。もりせんがギフトを始めるタイミングで、「わしが書いてやらぁ」とパッケージの文字を書いてくれることに。「以来亡くなるまでの20数年間、毎日400枚くらい書いてくれました」。
互いに補い合いながら、前に進んでいく
2人からスタートした店は現在40人近くのスタッフを抱え、福山駅のおにぎり専門店やブライダルギフトなどユニークな展開を行っている。店の歩みについて、宣二さんが面白い例え話をしてくれた。「雁という鳥がいるでしょ。北へ戻るとき、V字型に飛んでいくんだけど、先頭にいる鳥は風を受けてかなり辛いらしい」。でも、鳥たちは交代で先頭に立つことで互いに補い合い、ゴールを目指して飛んでいくという。「企業のやり方もそうじゃないかなと思っている。焼き豚をやりたくて始めたんだけど、最初の頃はコロッケがすごく売れて、この前までは肉みそだった。これから何が先頭になって引っ張っていくんだろうと思いながら、知恵を絞っているところです」。
今秋、横浜のイベントに出向いたときは、竹の香りをまとった「焼き豚ちまき」が評判になったという。走り続けてきた宣二さんはもちろん、その背中を見て育った乾太郎さんと圭子さんの若い感性も加わり、世代を超えて愛される「もりせん」の歴史を紡いでいく。
(2019年11月取材)
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