INUJIMA
MAGAZINE ふるさと図鑑
犬島
vol.2自然の力を信じて
みんなでつくる未来
犬島は車の乗り入れができないため、とても静かだ。耳に入ってくる風の音や木々のざわめき、鳥のさえずり。漂う花の甘い香り。五感がどんどん研ぎ澄まされていく。海沿いの道を歩き辿り着いたのは、「犬島 くらしの植物園」。色とりどりの植物と、虫の匂いをたどって縦横無尽に歩きまわるニワトリ、天国という場所があったら多分こんな風景なんじゃないか、そんな感覚さえ覚える美術館や集落とはまったく違う空気に包まれていた。
花が好きな、
犬島の人々との交流
「犬島 くらしの植物園」は、建築家・妹島和世氏と、「植物とともに暮らす歓び」をテーマに活動するユニット「明るい部屋」による共同プロジェクト。長く使われていなかったガラスハウスや土地を再生し、食べ物からエネルギーに至るまで自然のサイクルに根差した「新しい暮らし方」を考える場づくりを展開している。
庭園で一人静かに作業していたのは、「明るい部屋」のコミュニティガーデンプランナー・橋詰敦夫さん。「明るい部屋」は橋詰さんとフラワーデザイナー・木咲豊さんによる2人組ユニットから始まり、東京を拠点に活動していたが、2016年3月犬島へ移住してきた。
犬島との出会いは、2010年から公開されている犬島「家プロジェクト」I邸の庭造り。「島の皆さんは本当に花が好きで、庭造りをしていたら毎日顔を出して『この花なんていうの?』と聞かれたり、差し入れを持ってきてくださったり。雑草を抜いたりというメンテナンスも島のみなさんの協力があって成り立っています」。植物を単に“飾る”だけではなく、“育てる”“食べる”“薬にする”など、暮らしが変わるような在り方を提案してきた橋詰さんだが、犬島の庭造りではそれまで経験したことのない“交流”が生まれ、人生の転機になった。
破壊されても蘇る、
自然の力強さ
「もともと“島”は渡り鳥が海を渡るときに羽を休める場所。犬島は高い山がなく、まっ平なんですよね」と橋詰さん。石の島だったために高かった山が削られ、製錬所が稼働していたころは、煙害によって山には木が一本もない状態だったといわれる。「島食堂」を営む池田さんが「私が小さい頃は緑がなかった。木が生えてなくて、裸の状態だった」と話していたことが蘇る。
「植物にとっては過酷な場所だったんだと思うんです」。犬島の自然は破壊され、そこから緩やかに回復している途中だという。「ここは植物の力が強い。雑草料理の専門家を招いてイベントをしたことがあるんですが、犬島の野菜や雑草は力があると仰っていました」。理由として考えられるのは、土がミネラルを含みバランスが良いこと。雨量は少ないが、島の下に岩盤があることで水が蓄えられていること。
植物の水やりは大変だが、一度根付くと強い。成長が早く、巨大化する。「東京にいた頃はクローバーを雑草だと思ったことは一度もなかったんですが、犬島では葉っぱがこんなに大きくなっちゃって(笑)。厄介ではあるんだけど、おもしろさも感じています」。
あるものを活かし、
みんなでつくる植物園
橋詰さんが犬島へ移住した当初、荒野だった敷地は、島民をはじめ島を訪れた人々など、さまざまな人手によって開墾され、緑広がる場所へと変化を遂げた。庭園の中では白やピンク、赤、黄、紫といったさまざまな色の花が咲き、ニワトリが駆け回っている。このニワトリもくらしの植物園の大事なメンバーだ。「ニワトリは本当に自由です。虫を見つけたら走りだすし、花も食べる。野菜も食べる。コントロールできない。でも、彼らは卵も産んでくれるし、雑草を食べてくれる。フンは堆肥になります」。
犬島に上水道がひかれたのは1975(昭和50)年。以前は井戸を掘って水を使っていた。くらしの植物園では昔使われていた井戸を復活させ、太陽光パネルで水をタンクに貯め、植物の水やりに活用するシステムをつくっている。
「犬島は歩いて1時間くらいで回れる小さい島です。車が入れる島とそうじゃない島とでは、開発の規模も変わります。大規模な工事は難しい。でも、だからこそいろんな人の手が加わり、みんなでつくっていくことができるんです」。3日前まで滞在していたウィーン大学の学生20人は、水を浄化するシステムを造るために瓦を割ったり、海から石を拾ってきたり、野生生物の生息するビオトープ作りを手伝ったという。「よく『植物園の入り口は? どこから入るんですか?』と聞かれるんですけど、どこから入ってもいいし、どこから出て行ってもいい。それぞれが自由に過ごし、自分の庭だと思って何度も訪れてほしいです」。
季節や風土を感じて、
犬島を歩く
古くから日本では食べ物や住まい、衣服など暮らしのすべてに植物が使われていた。植物の多様な可能性を知ってもらいたいと、くらしの植物園では季節の節目に行う「節句」行事や、雑草を食べるワークショップなどを開いている。
季節や風土に育まれた暮らしの知恵は、犬島でも大切に受け継がれている。港へ向かう道で青々と葉を広げるツワブキの葉を見つけた。島食堂で食べた「ツワブキの佃煮」の味を思い出しながら、帰りの船に乗り込んだ。
(2019年4月取材)
明るい部屋
木咲 豊さんは2017年にご逝去され、現在は橋詰さんがお一人で活動されています。
木咲 豊さんの、これまでのご功績を称えますとともに慎んでご冥福をお祈り申し上げます。
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