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MAGAZINE ふるさと図鑑
備前おさふね刀剣の里
備前長船刀剣博物館
備前長船刀剣博物館|備前おさふね刀剣の里 備前長船刀剣博物館
世界中から刀剣ファンが訪れる、
日本刀の聖地。
瀬戸内市の長船地域を中心とした地域は、古くは備前国の一部。備前国では平安時代末期から刀づくりが行なわれ、現在にいたるまで数多の刀匠が出現している。国宝の刀111口(ふり)のうち、47口が備前国の刀であることからも、日本刀の一大生産地であることがわかるだろう。この長船の地にある『備前長船刀剣博物館』は日本刀の専門博物館として、備前刀を中心とした刀剣類を展示。時にサブカルチャーとのコラボレーション展示を行なうなど、日本国内だけでなく世界各国から幅広い刀剣ファンの訪れる地となっている。
鎌倉時代から刀づくりが
行なわれていた備前長船。
日本刀について詳しくない人でも、「長船」が日本刀の生産地と聞いたことはあるだろう。この地では、鎌倉時代から刀づくりが行なわれていた。日本刀のおもな材料となる砂鉄が中国山地で採れ、温暖な瀬戸内式気候ゆえ、砂鉄から作られた玉鋼(たまはがね)を高温で熱し、鍛える際の燃料となるシイやクヌギなどの雑木が多い。また熱した鋼を冷やすための吉井川の豊かな水にも恵まれていた。これらに加えて、長船を中心とする地域は、吉井川の水運と山陽道が交差する物流の要衝の地であり、日本刀の材料が比較的手に入りやすかったことなどがその背景にある。
長船地区からすぐ南にある「福岡」の地は、山陽道随一と呼ばれるほどの商業都市で、その盛況ぶりは国宝『一遍上人聖絵』にも描かれている。そのため、この地域に刀をつくる材料が集まり、つくられた刀は福岡の市で売られ、全国に運ばれるなどの流通経路が確立されたことは想像に難くない。
中世、日本刀の生産地として、5つの場所が有名だった。相模国(現在の神奈川県)、美濃国(現在の岐阜県)、大和国・山城国(現在の奈良県と京都府)、そして備前国。これらが日本刀の産地として知られ、「五ケ伝」と総称された。そのなかで備前国は、最も長く歴史が続き、生産量も多い生産地だ。「長船」を中心とした備前国で作られる刀には名品が多く、織田信長や、上杉謙信に代表される戦国武将の多くも好んだ。
特別展をきっかけに、
若い人たちもやってくる博物館に。
刀剣の産地として長い歴史を持ち、現在も日本刀がつくられるこの土地に、備前長船博物館が1983(昭和58)年、開館した。その後、備前刀を中心に展示する『備前長船刀剣博物館』として、2004(平成16)年にリニューアルオープン。最近では若い世代や海外から訪れる人の姿も目立つ。
2012年、『備前長船刀剣博物館』が企画・展示した「エヴァンゲリヲンと日本刀展」は注目を集めた。これは刀匠らが、SFアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』からインスピレーションを得て、製作した作品を展示したもので、全国の博物館の中でも新しい試みだった。備前長船刀剣博物館ではこれ以降も、『戦国BASARA』、『真剣少女』などのアニメーションやゲーム、漫画など2次元の世界とのコラボレーションした企画展を開催し、国内外を問わず、幅広い世代が訪れる博物館となっている。
時代によって変化する、
刀の姿を見る。
多くの人が訪れ、あらゆる視点から刀を見るのだが、刀を見る際のポイントは4点ある 。まず、「姿」。日本刀は、時代によって少しずつ姿(形)が変化していっている。このため、展示している刀はどんな形をしているかなどを観察する。次に、「地鉄(じがね)」を見る。地鉄から得られる情報は多く、刀身の表面に現れた文様(肌)なども観察できる。
次に「刃文(はもん)」。これは、まっすぐな「直刃(すぐは)」や、チョウジノキという植物の形を模した「丁子刃(ちょうじば)」、波打って見える「乱刃(みだれば)」など様々なものがある。刃文には時代や流派の特徴が出ることが多い。
最後に、「茎(なかご)」をみる。茎には制作者である刀工の名前や、制作年や依頼主などの様々な情報が詰まっている。それ以外にも鑢の掛け方など、茎には多くの情報が残されている。
さらに備前刀では、「映り(うつり)」と呼ばれる部分が特徴に挙げられる。刃文から少し離れて、地鉄のほうに薄く煙がかったように見える部分を「映り」と呼び、初心者にとっては見きわめることが難しい。すべての備前刀に「映り」があるわけではないが、「映り」を持つ備前刀は多い。
刀工が製作をする、
日本刀づくりの現場。
『備前長船刀剣博物館』と同じ敷地に、『備前長船鍛刀場』、『ふれあい物産館』、『今泉刀匠記念館』があり、これら5つの施設が、『備前おさふね刀剣の里』をなしている。
日本刀を鍛錬し刀身を制作する『備前長船鍛刀場』に続く『備前長船刀剣工房』では、刀身を仕上げる「仕上場」、鞘に漆を塗る「塗の工房」、鎺(はばき)を作る「白銀の工房」・鍔や刀身彫刻をつくる「金工・刀身彫の工房」、刀剣を研磨する「研の工房」、鞘を作る「鞘の工房」、柄を制作する「柄巻の工房」という8つの工房がそれぞれ独立した空間として、中庭を囲んで連なっている。
『備前長船鍛刀場』、でこの日、製作をしていた刀匠・安藤広康(ひろやす)さんの仕事を見学した。安藤広康さんは、岡山県の重要無形文化財保持者の刀鍛冶である父・広清刀匠に弟子入りし、その後、刀鍛冶となった。
日本刀の刀身を1口つくるには最短で2週間かかる。この日、行なわれていたのは、「折返し鍛錬」という、刀づくりの最初の段階で、鋼を折り返しては伸ばして行くという「鍛錬」の工程だ。折返しは10〜15回繰り返される。
刀鍛冶は、温度計を使わず、炎の色や、鉄を動かした時、手に伝わる感触などから、温度を判断できる。「音を聴く」ことも重要だ。鉄が湧く音、フツフツ、ブチブチといった音に耳を澄ませて聴く、目と耳と手の感触。五感をフルに活かして温度を探り、作業を進める。
博物館にある様々な日本刀を眺め、工房では職人たちが日々日本刀の製作を行っている工程の一部を見学する体験は、興味の程度に関わらず、心身のふかいところで引き込まれて行くものがある。それが日本刀の持つ、はかり知れない魅力なのかもしれない。
(2019年2月取材)
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