ふるさとおこしプロジェクト

MENU
×

KURASHIKI

MAGAZINE ふるさと図鑑

倉敷ガラス

吹きガラス|倉敷ガラス

ぬくもりが伝わってくる
暮らしに馴染む吹きガラス

「倉敷ガラス」の始まりは昭和39(1964)年。輸出用のクリスマスツリー飾りとしてガラス玉を作っていた小谷眞三(しんぞう)さんが、倉敷民藝館の外村吉之介初代館長をはじめ民藝運動の有志と出会い、ガラスコップを作り始めたことがきっかけ。透明で薄い工業ガラスが出回っていた当時、民藝館で見るメキシコのガラスのような厚みのある、親しみの感じられるガラスうつわが切望されていた。現在のように情報が豊富ではない時代、眞三さんは手探りの状態から試行錯誤し、独自の技法でコップを完成。そのコップは外村館長に気に入られ、後に「倉敷ガラス」と命名される。眞三さんと息子の栄次さんが手掛ける品々は、普段の暮らしに馴染み、丈夫で実用的。「健康で、無駄がなく、真面目で、威張らない」という民藝の精神を大事に作り続けられている。

炎を前に
瞬間を見極め、形作る

倉敷市粒江、山の中腹に建つ小谷栄次さんのガラス工房。木々のざわめきが聞こえてくるほど、自然に近い静かな場所にある。訪れたのは2月初旬。大きな革手袋をはめ、溶解炉を見つめる栄次さんの姿があった。

煉瓦を積み上げた窯には、2つの「るつぼ」が入っている。1つはガラスの素材を溶かし、もう1つは整形するためのもの。るつぼの温度は1300℃。活火山の火口を思わせるオレンジ色の炎がとろけている。1年のうちで最も寒い時期だが、額には汗が見える。「夏は痩せますよ。1日に2回か3回は着替えます」。過酷な現場だ。

高温の炎を浴びている「るつぼ」には寿命がある。溶かしたガラスの状態を見ながら、交換時期を見極める。

瞬時の形を見逃さない鋭い感覚と、それを取り込む技が必要。

るつぼに吹き竿を入れ、溶けたガラス生地をすくい取り、水あめを巻き取るように丸める。息を吹き込んで膨らませ、再び生地を巻き取り、鉄リンで形を整える。金型に入れて膨らませ、ひねりながら取り出すと、網目(モール)模様の「倉敷ガラス」が目の前に現れた。くるくる、くるくると竿を回しながら、金鋏で切ったり、つまんだり、あめ細工のように自在に形作られていく。5分も経たないうちに小鉢が完成した。成形したうつわは、徐冷炉に一晩置いてゆっくり冷ます。

工夫が重ねられた「スタジオ・グラス」

「通常、ガラスの吹き竿はもっと長いんです。でも、一人でやるんだったこれくらい短い方がいい」。吹きガラスは本来複数の職人が息を合わせて行うものだが、倉敷ガラスは栄次さんの父・眞三さんが確立させたすべての工程を一人で行う「スタジオ・グラス」というスタイルで作られている。約20年前に移築したこの窯は、栄次さん自身が造ったもの。溶けたガラスは時間が経つと冷めて固まってしまう。時間との勝負だ。吹き竿は通常サイズより短めを使い、一人で素早く効率的に動けるように道具の定位置も決まっている。

模様づくりに使う金型は、空き缶を利用し、針金を巻き付けたものだ。ほかの道具もガラス専用のものは少なく、自身で作ったり、既製品をアレンジしたりと改良を重ねたもの。「バーナーも窯を作った当初は専用のものがなくて困っていたんですが、隣の茶屋町がイグサの産地で、イグサを煮たり色付けしたりするときにバーナーを使うからと、知人が知恵を貸してくれて」。大きさを調整する金型は、「鉄工所の親父さんが一生使えるからと作ってくれた」という。るつぼも当初はガラス生地を取り出しやすい口の大きさのものがなく、職人に頼んで作ってもらっていた。長年の試行錯誤を重ねた末に出来上がった愛用の窯。倉敷ガラスを生み出す現場は、さまざまな職人の力や知恵が結集されていた。

礎を築いた父の姿
体に染みついた熟練技

幼い頃から自宅横の工房で父の作業姿を見ていた栄次さん。高校生のとき、高山(岐阜県)に築いた工房へ自転車で遊びに行ったときのことを鮮明に覚えているという。「親父がたまたま昼寝をしていたんですよ。ガラスを竿に巻き取り、吹いて、形を整える、という一連の作業はなんとなく分かっていたから、自分でも絶対できると思った。親父はひょいひょいと、さも簡単そうにやっていたから。」

それが、まず溶けたガラスを巻き取ることができない。そのうちガラスの温度が下がってきた。仕方なくふたを閉めて、再度挑戦。「親父はまだ寝ていたので今度こそ、と(笑)。なんとか竿に巻き付けたんですが、吹くにはまだ生地が足りない。手順は分かるのに、まったくできなかったですね」。リラックスした軽やかな動き、簡単そうに見えていた作業は、何万回と積み重ねられた、体に染みついた技だったのだ。

静かな輝きを放つ青色は「小谷ブルー」とも称される。

栄次さんが眞三さんの弟子となり、吹きガラス職人の道を歩み始めたのは23歳のとき。作業を教えてもらったことはなく、「いつもの場所に座って、じっと見て学ぶんです。親父の仕事が終わったら、1時間だけ残った生地でガラスを吹かせてもらえる。最初は小鉢ばかり7年間作り続けました」。その後はぐい吞みとコップを手掛け、平成5(1993)年「倉敷ガラス 眞三・栄次父子展」の開催を機に独立した。

安心する厚みと重さ
手に馴染むうつわ作り

口吹きで丁寧に作られる倉敷ガラスからは、硬さや冷たさは感じられない。色、質感ともに人の体温のような、ぬくもりが伝わってくる。栄次さんは、飾って眺めるものではなく、普段の暮らしで使う「うつわを作ること」にこだわる。何よりも大切にしているのは使い心地だ。

「うつわを使い続けてくれる人の存在が何よりの励みです」と話す栄次さん。

「使うものだから、手に持った時の重さは大事です。軽すぎたら不安になるし、重すぎたら使いにくい。コップは親父が作っていたものより、ちょっと軽くしています。あと、飲みやすいようにコップの縁を薄くしているんです。その時々の暮らしにあったもの。実際に使ってみて、僕が使いやすい形に」。手にしっくりとくる重さ。厚からず薄からず、ちょうどよい口あたり。栄次さんの感性を生かした素朴であたたかな作品を生み出している。

倉敷ガラスのぐい呑みがある。その厚みは「手」に近い。すっぽりとおさまり、握手を交わしたときのような親しみが生まれる。使うほどに美しく、おだやかな心持ちになれる。

(2019年2月取材)

information

この記事をシェアする

  • facebook
  • Twitter
  • LINE

関連記事