NATSUKAWA
MAGAZINE ふるさと図鑑
撫川うちわ保存会 三杉堂
撫川うちわ | 撫川うちわ保存会 三杉堂
江戸時代から伝わる、
凛として優美な撫川うちわ
俳句の切り抜き文字と、朝顔やりんどう、金魚といった夏を表す透かし絵。真っ直ぐな細い竹の柄と、扇面の優しい丸み。それぞれの要素が融合し、凛とした優美さを持つ撫川うちわは、岡山県の郷土伝統的工芸品のひとつ。江戸時代から吉備地区で製作され、現在は撫川うちわ保存会「三杉堂」のメンバーが継承している。
あかりにかざすと浮かび上がる演出
あおげば、滑らかな柄(え)が手に馴染み、面が柔らかくしなって、優しくとも力強い風を送る撫川うちわ。手にして、まず驚かされるのは、上部の波しぶきのような模様が俳句の文字となっていることだ。これが絵柄とともに、あかりに透けて浮かび上がる。
たとえば、蛍の絵柄が描かれたうちわ。あかりにかざすと、「すっと来て 袖に入りたる 蛍かな」という杉山杉風(すぎやまさんぷう)の俳句が読み取れ、同時に蛍と草、丸く切り抜かれた蛍の発する光も鮮やかさを増す。いずれもひかえめで、粋な演出だ。
俳句の文字をひと筆で書き、文字群を上下の半分に分け、2枚の紙に写して切り抜いて糊で継ぐ技法は、「歌つぎ」と呼ばれる。和紙を貼り合わせ、その間に色付けをした薄紙や墨で淡く染めた紙を挟む「透かし」の技法とともに、撫川うちわの特徴的な技法となっている。
手作業でしか出来ない工程
撫川うちわの製作は、すべての工程が手作業で行なわれる。始まりは、材料となる竹を見繕うところから。探すのは、ゆがみなく、真っ直ぐに伸びた「女竹」。太さは親指ほどの10〜18ミリで、5年目くらいの竹が理想的といわれる。撫川でうちわづくりが盛んになった江戸時代、足守川の川辺でその竹を採取していたといわれ、今でも秋が深まった頃、足守川の土手で手に入れる。
竹は冬のうちに割る。竹の断面にナイフで十字の割り目を入れ、4等分にし、そこから手割りして8等分に。この作業を重ねて64本の扇の骨とする。骨は、厚みを揃えて中肉を削って滑らかに整える。それから64本の骨を扇状に広げ、うちわの骨組みを仕上げて行く。ここまで済ませて、半年から1年間、乾燥のために寝かせておく。
繊細な印象の強い撫川うちわだが、元々は武士が手慰みに作っていた品。その真価は、素竹のままで最高の気品を出しているところにあるといわれる。素(す)のままの状態の柄は潔く、柄を下に垂直に置けば、うちわは立ち上がる。そんなところにも、芯のしっかりとした「作り」を感じさせる。
「透かし絵」と「歌つぎ」の繊細さ
竹の細工と和紙の細工を結合した工芸品である撫川うちわには、繊維が短く、「透かし」や「歌つぎ」の演出に向いた、高知県の「こうぞ手漉き和紙」が使われる。表紙、中子紙、裏紙の3枚の手漉き和紙を骨に張り合わせて、うちわの体裁をなすが、部分的に切り抜いたり、薄い紙を重ね合わせたりするため、複雑で緻密な作業を必要とする。
まず、うちわの型に合わせた紙に俳句と絵を描き、これを和紙に写し取る。伝統的な絵柄は30ほどあり、夏の風物だけでなく、実は雪やうぐいすなどの原案もあるそうだ。「透かし」は、絵の中でとくに強調したい大切なポイント。たとえば花であれば花びら、蛍であれば淡い光といった部分を切り抜いて薄紙を貼ることで、繊細な立体感が作られる。
「歌つぎ」の俳句は、筆で句の最初から終わりまでの文字を続けて書くことで、切り抜きが可能となる。文字群の下の線を切っていくことで、雲形の模様に見えるのだが、「印刀」という小さなナイフを使って、文字に沿って前に切り進む。仕上がりの精密さからすればその作業は意外なほど、リズミカルで速い。
撫川うちわ独特の技法は、言葉で伝えることが難しく、一度やってみて、師のやり方をじっと見ながら覚えるそうだ。
撫川うちわの技法と歴史を伝える
1985(昭和60)年、製作技術の保存と後継者育成を目的に、撫川うちわ保存会「三杉会」が結成された。現在、製作を行なうのは、石原中山(ちゅうざん)さん、平松龍四郎(号:龍山)さん、宮脇香俊ら5人の作家だ。仕事を引退後、撫川うちわづくりに専念する彼らには、「撫川うちわの技法と歴史を残さなければ」という責任感があり、岡山市立吉備公民館(岡山市北区)で撫川うちわ製作実習講座を行なっている。
石原さんの工房に集まった3人は、好きなものについて夢中になって話をする中学生のような雰囲気がある。製作の秘策は、「いらいらせずに、丁寧に」。「必要なのは器用さじゃなく、コツコツやる根気」と語る。のべにすると3日で一本の割合で完成するという。「男持ち」、「女持ち」、「飾りうちわ」の3つのサイズがある。
(2018年7月取材)
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