SETOUCHI
MAGAZINE ふるさと図鑑
竹久夢二本舗敷島堂 株式会社
株式会社 神宝あぐりサービス
瀬戸内マンゴー 生スフレふわり~ぬ | 竹久夢二本舗敷島堂 株式会社・株式会社 神宝あぐりサービス
地元素材で美味しさのコラボレーション
創業以来、素材の美味しさを生かしたお菓子づくりに取り組んでいる和菓子の老舗「敷島堂」。地元である岡山県瀬戸内市の温暖な気候の中で栽培された神宝マンゴーを使った生スフレ「瀬戸内マンゴー 生スフレふわり~ぬ」は、濃厚な果実の甘みが味わえると評判だ。マンゴーが収穫を迎える7月、果樹園を訪れた。
美味しいものへのアンテナを張り巡らす
創業70周年を迎えた敷島堂は、「美味しさでたくさんの笑顔を咲かせたい」という夢のもと、原材料の品質をとことん吟味し、できたて・つくりたてにこだわったお菓子を提供している。店頭には北海道十勝産小豆と高純度の白双糖(シロザラトウ)を使って丁寧に炊き上げた自社製餡を使用した和菓子をはじめ、シャインマスカットや清水白桃など岡山県産の果物を使った大福やゼリーなど、伝統的な和菓子からバラエティ豊かな創作菓子まで数多く並ぶ。
しっとりしたクリームをふわふわなスフレ生地で包み込んだ「ふわり~ぬ」は、季節ごとに地元食材を使用した人気商品だ。「社員はみんな美味しいものへのアンテナを張り巡らせています」と話すのは、商品開発を手掛けてきた店舗運営部の木下滋さん。「瀬戸内マンゴー 生スフレふわり~ぬ」に使う神宝マンゴーの出会いは突然だったという。「4年前、ちょうど利用していた邑久駅にポスターが貼ってあったんです。地元にマンゴーがあるなんてびっくりしました」。すぐに取り寄せて試食。「ふわり~ぬ」のクリームに使われることになった。
神宝マンゴーは、水道事業を営んできたシンポ―工業が後継者不足で廃業していく農家の姿を目の当たりにし、「マンゴーで瀬戸内の農業を元気にしたい」との思いから栽培を始めた。農業経験なし、ゼロからのスタート。マンゴー栽培の実績があった沖縄や宮崎へ足を運び、指導を仰ぎながら瀬戸内の気候に合った栽培法に取り組み、10年過ぎた現在では年間18000個を収穫するまでになっている。今回、木下さんと営業部の瀬尾翼さんとともに神宝マンゴーの果樹園を訪ねた。
太陽をたっぷり浴びて育つマンゴーとの出会い
夏空の青さがまぶしい7月、瀬戸内市の小高い山にあるガラスハウス。道の向こうには瀬戸内海が見える。「のどかな景色でしょう。夏の海はエメラルドリーンですが、冬になると紺色になるんですよ」。マンゴー果樹園を案内してくれたのは「神宝あぐりサービス」の井上雄介さん。マンゴーはガラスハウスの中で、降り注ぐ太陽の光をたっぷり浴びて栽培されていた。夏場は42℃にもなるというガラスハウス3棟で、アーウィン種(アップルマンゴー)をはじめ7品種、およそ750本のマンゴーの木が栽培されている。
「植物は自分の体を大きくする栄養成長と子孫を残す生殖成長と2つのチャンネルを持っているんです。マンゴーの立場では実をつけるというのは大変なエネルギーで、栄養成長のままいきたいんですけど、肥料と水を切って生命の危機を感じさせることで、子孫を残さないとえらいこっちゃ(笑)とチャンネルが切り替わるんです」と井上さん。鉢(ポット)に植え、根の領域を制限して育てることで、肥料や水の管理がしやすく、繊維質の少ないなめらかな果肉に仕上がるという。
「美味しい」の理由を自分の言葉で伝える
ガラスハウスに入るとムワッとした熱気と甘い香りが漂ってきた。木には赤みがかった卵型のマンゴーの実が、1個ずつネットに包まれている。手に乗せてみるとずしりと重い。「鮮やかな赤色になると、ぽとーんと落ちるんです。それを収穫します」と井上さん。果実が熟して木から自然に落下するのを待つことで、甘みの詰まった濃厚な味わいになるのだ。
「なるほど、マンゴー自体が最高潮のときを教えてくれるんですね。美味しいはずです」と目を輝かせたのは瀬尾さん。瀬尾さんは店舗や試食コーナーで直接お客さんと会話しながらお菓子の良さを伝えている。大事にしているのは笑顔と自分の言葉で美味しさを伝えること。「味はもちろんですが、より美味しく召し上がっていただける提案など自分なりの一言を添えるだけでお客様との会話も弾みます。今回、マンゴー果樹園を実際に見ることができ、さらに自信をもって『ふわり~ぬ』の美味しさを伝えられるようになりました」。
品質を見極め、試作を重ね、技を磨く。
進化し続ける菓子づくり
完熟マンゴーを収穫し、本社工場へ運ばれる時間は車で20分。鮮度は抜群。美味しさが損なわれず、すぐ加工できるのが地元ならでは強みだ。JR西日本岡山支社・ジェイアールサービスネット岡山とともに共同開発した駅ナカ限定の「生スフレ ふわり~ぬ 瀬戸内マンゴー」は、従来のものよりマンゴーの配合率を高め、生地に蒜山のジャージー乳を使用することでより濃厚な味わいを実現。マンゴーの素材感や風味を生かしたものになっている。ふわっとしたスフレ生地は、その日の気温や湿度を見極め、絶妙な卵白の立て方とオーブンでの徹底した温度管理による職人技の賜物だ。
「お菓子って科学なんです」と木下さん。クリームと生地の水分のバランス、砂糖を何グラム入れるか、果実でつくるピューレのpHを何度にするか。「原材料は変わらないのに、手順を変えるだけで生地のふわふわ感が増したり、技術は日進月歩変わりますから、美味しさもどんどん進化していきます」。試作を何度も繰り返し、完成を目指すお菓子の味。敷島堂として味の決め手となるのは?「最終的には会長や社長の判断ですね。会長はとことんこだわってやってきた職人気質な方で、味覚がとても鋭いんです」。もち米は雑煮にすると味が一番分りやすいからと、ついただけの餅を何個も食べ比べて品質を見極めていくという。発売になった商品でも、さらに改良を重ね美味しさを追求していく姿勢はずっと変わらない。瀬尾さんは「会長や社長がそれだけこだわりを持たれているからこそ、僕らも胸を張って敷島堂のお菓子をお客様におすすめできるんです」と話す。
日本の文化を伝える。
今までもこれからも、地域とともに。
創業時から観光客向けの土産品としてお菓子を販売していた敷島堂。大きな転機となったのは1995年、阪神・淡路大震災のときだという。大きな地震で道路や鉄道などの交通網が寸断され、岡山へ来る人が少なくなり、売り上げが落ちた。その時、県外だけのお客様に頼らない、地元のお客様にも喜ばれるお菓子づくりへの転換を図った。現在、敷島堂は本店を含め岡山県内に8店舗の直営店を出している。
邑久町にある本店を訪れた7月、店内には買い物に訪れた人々が書いた七夕の短冊が揺れていた。店の一角には、一服できる休憩スペースが設けてある。ゆっくりくつろいでもらうことが一番の目的だが、社員とお客様のコミュニケーションの場にもなっていて、率直な声に耳を傾け、美味しいお菓子づくりへの参考になっているという。
また、敷島堂は毎年、端午の節句の時期に瀬戸内市内の幼稚園、小中学校にかしわ餅を寄付している。柏の葉の香りを楽しみ、小豆から丁寧に作った本物の餡の味を知ってほしい。日本の四季折々の風情や、子どもの成長、健康長寿など人生の大切な節目に願いが込められる和菓子文化を身近に感じ、伝えていきたいという思いからだ。「これからも地元の皆様、良い食材との出会いを大切にし、さらなる美味しさを求めていきたいです」と木下さん。
敷島堂の創業の地、瀬戸内市邑久町は大正ロマンを代表する詩人画家、竹久夢二の生誕地。生まれ育った故郷を懐かしみ、いつまでも愛し続けた夢二の精神を引き継ぐ和菓子づくりが続けられている。
(2018年7月取材)
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