KURASHIKI
MAGAZINE ふるさと図鑑
倉敷本染手織研究所
倉敷ノッティング|倉敷本染手織研究所
染織の技術とともに
暮らしの中から民藝の精神を学ぶ
シンプルなデザインと、厚みがあって弾力感ある手触りが特徴的な織物「倉敷ノッティング」。椅子の上に敷く椅子敷として、全国に愛用者が多い。その倉敷ノッティングをはじめとした本染めや手織りの技術を習得する「世界で一番小さな学校」が、倉敷本染手織研究所だ。倉敷本染手織研究所があるのは、美しい倉敷川畔の町並の一角。倉敷川の対岸には、倉敷民藝館がある。そんな倉敷本染手織研究所には全国から入所希望があり、入所するのに3年待つ場合もあるという。
民藝運動家・外村吉之介が設立した
「世界で一番小さな学校」
倉敷本染手織研究所は、昭和28年(1953年)に、倉敷民藝館付属工芸研究所として設立。設立者は、倉敷民藝館の初代館長を務め、民藝運動家として活躍した外村吉之介(1898年〜1993年)。
「民藝」とは「民衆的工芸品」を意味し、生活に根ざした道具にこそ美があるという考えである。倉敷民藝館は日本で2番目に設立された民藝館で、大原孫三郎・總一郎は民藝運動の理解者であり支援者であった。
倉敷本染手織研究所はその倉敷民藝館の対岸にある。「作家の養成や趣味の染織のためでなく、日夜の暮らしの中で働く健康でいばらない美しさをそなえた布を織る繰り返しの仕事を励む工人を育成する学び舎」として、外村夫妻が暮らしていた自宅を研究所として開放。現在は、外村吉之介の意志を継承し、石上 梨影子(いしがみ りえこ)さんが研究所の代表を務めている。
倉敷本染手織研究所は、手紡ぎや本染め、手織りの技術を指導する研究所。研究生は約1年にわたり住みこみで、生活をともにしながら技術や知識を学んでいく。食事や洗濯、清掃も当番制で研究生が協力しあって行っているという。「民藝は、日々の暮らしで使うものの中に美があるという考え。外村は研究所での暮らしを通じて『民藝とは何か』という精神を研究生に伝えようとしました」と石上さん。
倉敷本染手織研究所で学ぶ技術・知識は、作家性を全面出したり商売を前提としたものではない。民藝の精神を受け継ぎ、自分や家族・親族・友人らの暮らしの中で使用するためのもの。「倉敷本染手織研究所には、全国各地から入所希望があります。一度に学ぶのは5〜8名。外村は『世界で一番小さな学校』と呼んでいたほど。現在は、入所いただくまで3年ほどお待ちいただくこともあります」。
生活にとけこむシンプルなデザインの
「倉敷ノッティング」
倉敷本染手織研究所で学ぶ代表的な織物が「倉敷ノッティング」。戦前に外村 吉之介によって考案された織物で、主には椅子敷として制作されるが、長尺の玄関敷などもある。石上さんによると「機織りからでる残系の活用から、外村が考え出したものと聞いています。当時はまだ日本の住宅は畳が主でしたから。その後、住宅事情が変化して自宅でも椅子が使われるようになり、倉敷ノッティングの需要が増えていきました」。
倉敷ノッティングの基本サイズは縦37目・横37目からなる約40cm四方。経糸(たていと)として木綿糸を張り、そこに緯糸(よこいと)としてウールまたは木綿の糸束を結びつける。そして毛足を切り揃え、各段の結び目を打ちこんでいく工程を繰り返していくことでつくられる。ノッティングという名称はこの結びつけていく作業に由来し、「結ぶ」という意味の英語「knot」から名付けられているという。
「実は倉敷ノッティングの製法も、ペルシャ絨毯の製法も同じなんです。ペルシャ絨毯は非常に目が細かく、複雑で多様なデザインが特徴ですよね。しかし外村は、民藝品として個性を強く打ち出すことを嫌いました。民藝は、普段の生活に溶けこむようなものでなければならいないという考えからです。そこで、縦37本・横37本にすることで、あえてデザインが制限され、個性的なデザインや複雑なデザインを生みだしにくいようにしたのです」と石上さん。
研究生や卒業生がつくる倉敷ノッティングの製品を見てみると、どれも飽きのこないシンプルなデザイン。外村吉之介が当時作ったデザイン集を現在も参考に組み合わせながらデザインを生み出しているという。飽きがこず、20年以上使用できるという丈夫さも兼ね備えている倉敷ノッティング。厚みがあって温かく、手で触れるとフカフカふわふわとした弾力感のある触り心地。長く使っていくことで風合が増し愛着が生まれていく。
糸の手紡ぎ、本染め、手織り。
全工程を一人で行う職人を育成
もともとは女性若年層の入所が多かったという倉敷本染手織研究所。現在は、生活環境の変化により、子育てが一段落した女性の入所が多いという。4月に入所し、翌年3月まで学んでいく一年制の学舎では、使用する木綿と羊毛の糸は研究生自ら紡いで糸をつくる。また、糸を天然染料で染める本染も研究所内で学ぶ。
主に使用する染料は、藍・ヤマモモ・カリヤス・アセンヤク・ログウッド・コチニール・ベンガラなど。卒業するころには、糸を紡ぐところから染色を経て、機織りをして生地を完成させるまでの全工程を一人で作業できるようになるという。
取材に訪れた2月中旬、制作していたのは卒業制作となる着尺。染織物への興味関心をきっかけに全国各地から倉敷本染手織研究所での学びを求めてこの地にやってきた研究生たちが「タン タン タン」と、心地よいリズムで機織りの音を響かせていた。
ともに学びともに暮らして
本物の豊かさを学ぶ
倉敷本染手織研究所の研究生は約1年にわたり住みこみで働くが、現在は自宅から通っている研究生もいる。通いの研究生も研究所で学ぶ昼間は、住みこみの研究生とともに食事・洗濯・清掃などを当番制で協力しながら行う。台所では、現在は希少となった木製のキッチンなど、長年手入れされてきたものが現役で使用されていた。食事で使用する器類は、全国各地の民藝のもの。ここにも外村が提唱した「実際の暮らしを通じて『生活に根ざした道具の中に美がある』という民藝の心を学ぶ」という精神が息づく。
1年間ともに学ぶともに暮らすなかで、研究生同士の繋がりも深くなる。そんな研究生と石上さんが楽しみにしているのが、全国各地の工房への視察旅行だという。
石上さん「卒業生は、全国各地で活躍しています。在校する研究生みんなで、各地の染色や織物の工房を視察する旅行などを企画し、楽しみながら学びと交流を深めているんです。印象深いのは沖縄へ行ったこと。かつて当研究所には、沖縄からの入所者が多くいました。そのため沖縄には、当研究所の卒業生が、多く工房を構えています。卒業生の活躍を目の当たりにできるのは希少な機会なので、視察旅行はとても楽しみなんです」
毎年秋に開催
倉敷本染手織会 作品展
倉敷本染手織研究所では毎年11月に倉敷民藝館内の特設ギャラリーにて展示会を開催。そこでは研究生が製作した作品が展示され、研究生は展示会を目指して制作に励む。また展示会は研究生だけでなく、全国から集められた卒業生の作品も展示される。
倉敷本染手織研究所では、学んだ卒業生からなる「倉敷本染手織会」という会があり、現在人数は400人以上にのぼるという。「同窓会が開かれたときには、全国から多数の卒業生が集まります。日夜寝食をともにして学んだ仲間ですから、同窓生・卒業生同士の絆はとても深いですね。指導者としても、うれしい限りです」と石上さんが目を細める。
(2024年2月取材)
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